2012年11月05日

眠りにつく準備

来たときからお年寄りで瀕死で寝てばかりのモフさん猫がとうとう逝きました。

日曜は午前中家事をして午後から事務所に出ることにしていますが、モフさんは私がいるお昼にミルクをなめて、しばらくしてふっと長い眠りにつきました。大往生です。
ちょとさびしいけど、無事に見送ることができてほっとした気持ちです。


ところで、成年被後見人が病院で亡くなられますと、死亡後に病院の支払いや、葬儀費用の請求がきます。人が死んでも、要るものは要るのです。確実にいろいろな物入りが発生します。

しかし、成年後見人は被後見人の死亡と同時に任務が終了します。そうすると、被後見人のお財布を握るのはもっぱら相続人ということになります。
相続人がごく少数で、しかもきちんと連絡がつく方であれば、問題はありません。
しかし、相続人がたくさんいる場合は、「全員の同意」を得るのが本当に難しいのです。

既にご高齢で病気がちの方ですと後見人にも施設から連絡がきますから、現金を予め用意するなどの準備もできるのですが、突然に亡くなられた場合には、現金がない状態のこともあります。

相続人が全くいない場合にも誰かが病院の支払いをしなければなりません。弁護士ではやむを得ず事務管理として行う、という方法をとっていることが多いようですが、その後財産に関して引き渡しなどで相続人ともめ事になる可能性もありますから、うっかりしたことはできません。

成年後見の終了は被後見人の死亡であることはそもそも容易に予想されることですから、本来は法でそこまで手当てしておいてほしい、と思います。



さて、例のタオルですが、モフさんが気に入っていたようなので、モフさんと一緒に火葬することにしました。
モフさんよりも長い付き合いの愛用タオルケット、

大きな声では言えませんが取りすがって泣きたい気持ちです

友人は無情なお悔やみが。

今度から紙のタオルにしとき

     平成24年11月5日 文責 弁護士 菊谷淳子



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2012年06月09日

新緑の里から

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さりげなくメリケンな青森三沢空港に降り立ち、バスを乗り継ぐことなんだかんだ小1時間。
新緑の美しさに目を奪われながら、重度の知的障害を持つ方の入所している施設に面会に来ました。
この日は面会日なので、入所者もみな興奮気味です。
面会にいつも誰かが来てくれている人は期待に満ちた表情をしていますが、そうでない人も。
予想していなかったのでしょう、「こんにちは、●●さんに会いにきましたよ」というととてもうれしそうな顔をしてくれました。遠かったけど、来てよかった。

  ちなみに、ここにきて感じたことを率直に書きます。
  この施設には非常に重度の障害を持つ人と比較的軽度の障害を持つ人との両方が生活しています。食事・排泄のすべてに介助を必要とする点では重度の介護は本当に大変です。
  しかし、軽度の場合だからといって重度より大変でないとは限りません。
  自分で動き回ることができるために、女性の来客を見ると追いかけまわす人
  ある程度のコミュニケーションができるために、かえってコミュニケーションをとれないことに不満といら立ちと募らせ、それが行動に表れてしまう人
  こういう場合に自宅で一緒に生活し、年中監視することがどんなに大変か
  社会から孤立しかねないと思います。

  障害や介護などでは分類として等級をつけますが、監護する側からみるとその大変さは等級には必ずしも比例せず、むしろ軽度だからこそ直接の介護以外の面での大変さもあるなあと思いました。しかしこういう介護以外の困難さについて行政からの支援は予定していないところです。少子高齢化社会であるにも関わらず介護はなるべくそれぞれの家庭で、という厚労省の方針では、これらの等級に必ずしも比例しない軽度の要介護の場合、介護の困難に直面し、社会から孤立する高齢家族が多く出るのではないかと感じています。


ところでここ、電波が通じません。帰りのバスを逃すとリアルにヒッチハイクです。いやボス、カージャックではありませんって。

さて、ボスにお土産・・・・
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平成24年6月9日  文責 弁護士 菊谷淳子
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2012年03月23日

泳げダキン

 私が飼った金魚の中で1番長生きだった昭和生まれの老金魚「金さん」(平成23年没)金魚すくい出身の正当派駄金でしたが、もりもり餌を食べ、水槽を叩いて定期的に掃除を要求し、掃除をすれば直後に備品をひっくり返し、おやつは優雅にバンホーテンココア。
  最後は体長約25センチの煮魚レベル。病弱で抗生物質をガンガン飲ませてしまい食用には適しなかったのが悔やまれてなりません。
 人間で言えば100歳を越えていたであろう彼は、最期までぼけもせず、眼も黒く、食いしん坊で乱暴者でした。
 
  最期まで自分らしく生きることはそう簡単ではないとつくづく思います。
  私の祖母がそうですが、少しずつ、できないこと、自分だけではどうにもならないことが増えていきます。そしてそれを補うものがどこまであるか、それが最期まで自分らしく生きるための条件でないかと思います。
  法律の世界では、財産管理と身上監護を第三者に委ねる成年後見制度が設けられています。これは「できなくなったこと」を補う制度です。後見人は、医療、住居の確保、介護・生活維持、施設の入退所・費用の支払い・教育・リハビリに関する契約締結、相手方の履行監視の7項目を身上監護として自身の責任で行います。
 この制度で一番大切なのは、誰に委ねるべきか、ということです。
 委ねるべき相手は通常は家族であることが多いのですが、家族関係の多様化により必ずしも家族に適任者がいるとはかぎりません。
 委ねることができる人的関係を作っておくこと、そして誰に委ねるかの意思表示をはっきりさせておくこと、これらは老後に備えて資産を形成するより大事な支度かもしれません。
 そしてもう一つ大切なことは多くの人には意思表示すら自由にできなくなる時が来るということ。私の祖母も会う度に意思表示が難しくなっています。時が経つにつれてできなくなることはあってもその逆はありません。ですから、意思表示は前もってきちんとしておく必要があるのです。
 
 私の任意成年後見人は同僚の予定です。
 彼女には私よりできるだけ健康に、かつ長生きしてもらわねばなりません。

 ところで、次は、ふぐを飼いたいです。ふぐなら大きくして・・・・
    平成24年3月23日 文責 弁護士 菊谷淳子
posted by KEYAKI at 21:47| 成年後見