2016年10月31日

ありふれた違和感

わがボス(⊙◞౪◟⊙)は身だしなみをとても気にします。
「なんとか先生を送る会」に出席するぎりぎりの時間に事務所を出ても
スーツのの色が違っていたら、タクシーを飛ばして戻ってきます。

私は、スーツの上下なんか少し違うくらいなら時間に間に合わせるほうを選ぶなあと思って眺めていました。

そんな或る日、裁判所に向かう途中、乗り換えの大手町駅で
ふと足下に違和感を感じ下をみると、

右足にいつものハイヒール

左足は事務所用サンダル•(΄◞ิ౪◟ิ‵ )

事務所を出る直前靴を履き替えているときに電話が・・・・

大手町駅には薬局しかありません。大手町から事務所に戻れば40分はロスします。期日に遅れるわけにはいきません。違和感と人様の視線は感じますが平然と歩き続けるか・・・・

さて、今日は違和感を感じることについて。
死刑制度反対の論拠として、よく言われる「冤罪の場合とりかえしがつかない」というものがあります。

私はこれにはとても違和感を感じます。
死刑制度の是非の話はここではおいておきます。私が違和感を感じるのは「冤罪」は理由にならないのではないかなと思うからです。

冤罪の場合取り返しがつかないのは、死刑に限らないのです。

たとえば「痴漢冤罪」で、逮捕され、勾留【留置場にとめおかれること】されてしまったら。
無実を主張すればすぐには出してもらうことができませんので、もちろん勾留されてしまいます。勤め人であれば会社に休む理由を言わなくてはならなくなります。20日間も理由を聞かずやすませてくれる会社なんてありません。いったん解雇されれば、実は無実だったことを理由にもとの状態に戻すことはまず無理です。

痴漢冤罪で逮捕され、将来を悲観してその日にメトロ早稲田駅で飛び込み自殺をしたという痛ましい事件も何年かまえにあったばかりです。

冤罪自体は死刑でなくても非常に当事者に酷な結果を招くことは変わらないのです。

冤罪で、社会的に葬りさられれば、回復不能になることもあるのです。
死刑だけが冤罪での取り返しがつかないこと、ではないのです。


さて、大手町駅には靴屋はありませんが、薬局はあります。

248円の包帯を二本買い、左足をぐるぐるまきにし、
左脚をひきずって法廷にむかいましたとも へへへ
  
 平成28年10月31日  文責 弁護士 菊谷 淳子


posted by KEYAKI at 00:44| 割とあほなはなし

2016年10月11日

おいそぎの車

八ツ墓村で運転免許を取った時、卒検を7回受験したのですが、その6回目に思わぬアクシデントがありました

前を霊柩車が通ったのです


救急車やパトカーと同じ「緊急車両」と勘違いして徐行し、大幅減点を食らった私、
教官は、あれはお急ぎじゃないからと落ち着いて教えて下さいました。

「緊急車両」というのをぼんやり「珍しい」「業務車」とくくって覚えていた私。

(΄◞ิ౪◟ิ‵ )実はゴミ収集車も含めていたなんて教官にはとても言えませんでした。

さて、ある法律家がおっしゃっていたことで少し気になったことがあるのでそのお話を。
その方は「同性愛を認めるなら同じくセクシャルマイノリティの小児性愛も認める必要がある」と言っておられました。

こういう本格的で多分に主観の入る議論は余り好きではありませんが、私が思いますに
同性愛と小児性愛は本質的に違います。

同性愛はあくまで成熟した大人と成熟した大人の対等なつきあい。
他人がどうこういう筋合いのものではありません

しかし小児性愛は必然的に他方が子供。判断能力は大人とは違います。
対等な大人同士のつきあいではありません。だからこそたとえ本人の同意があったとしても犯罪となるのです。愛ではありません。



DV加害者が暴力はオレ流の愛情表現だと言っても単なる傷害は傷害なのと同じ。
それは「愛する」ということが「相手を対等独立した人間として扱う」ことを当然の前提としているからです。

同性愛は「対等独立の人を愛する」ものですから、それは間違いなく愛です。
犯罪ではありません。そこにこの両者の大きな違いがあります。
どちらも単なるセクシャルマイノリティという枠に入れてしまうことは同時に同性愛への非情な偏見なのではと疑ってしまいます。
そしてその偏見のせいでまるで犯罪者のように同性愛者が逃げ隠れしなければならない世の中となるならば、まさに末法の世、蛮族の地です。
素人が本能的嫌悪感であれこれ言うのとは違います。法律家なら少数者として生きていくことの大変さに対する想像力、思いやりはもつべきでなかろうか、と思うのです。




さて、八ツ墓村で教わったお作法の仲に、教本と違うものが多々ありまして。それが本当に使えるのか迷っている知識もございます。今でも自信がないのが、例えば教習所一恐ろしい元レディースの教官から教わったこれ



「道を譲ってもらったら、パッシングで挨拶しましょう」って教本にはかいてあるけど、
絶対にしたらいけんよ

パッシングっちゅうのは

バトル開始 
っちゅう意味やけんね〜

  平成28年10月11日  文責 弁護士 菊谷淳子
posted by KEYAKI at 23:40| 民事事件

2016年10月07日

体内シンフォニー

ここ数日、ごほごほと咳がとまりません。
のどの奥からヒューヒューいう音を聞いているうちに、なんだかやけくそになり、体の内側でどんな音がするのか聞いて見たくなりました。

で、

聴診器を購入ლ(◉◞౪◟◉ )ლ

医療過誤事件の勉強にもなるかなと思って割といいものを買ったので、
軽くあてると低い音が、深く充てると高い音が

めくるめく体内の異音たち。


ごお〜ごぼごぼ・・・・くぃっくぃっ

飽きません。人のまで聴いてみたくなるくらいで・・・・

さて、音やにおいを証拠としてだすにはどうしたらよいでしょうか。
実は音にもにおいにも測定し、客観的に数値化するという方法で証拠として出します。
そして客観的なデータとされているものも、例えばどこから測定したか、どういう条件で測定したかなど諸条件をきちんとクリアしている必要があります。

ただ、それらが問題となるのは例えば不快と感じるかどうかという非常に主観的な場面です。言い換えれば「受忍限度」と言えるか。そんなものどうやって判断するのか。

実は主観的な場面であっても、本当に主観に左右されるわけではありません。
実際上は法令で規制されている値を超えるかどうかで判断されることが多いです。

まあ、騒音や悪臭というと当事者の割と神経質めだったりするので、私個人としてはあまり好きな類型ではありません。




注射だって自分で打った方が早いと思う時もあるのですが、
事務局の目が、

買うのは聴診器くらいに(΄◞ิ౪◟ิ‵ )


といっていますので。ええ狙っています。


次は内視鏡を•(◞≼థ≽◟◞౪◟◞≼థ≽◟)・・・・•
   平成28年10月7日 文責 弁護士 菊谷 淳子
posted by KEYAKI at 01:06| 割とあほなはなし